2018年2月─。Vチャレンジ(現V2)リーグは、2017/2018シーズンの終盤を迎え、激しいリーグ戦を繰り広げていた。上位チームが目指すのは、プレミア(現V1)リーグへの昇格。もちろんそれは、長い低迷期を乗り越えてきたフォレストリーヴズ熊本にとっても切実な願いだった。
フォレストリーヴズ熊本は、2005年に発足した。九州出身者だけで選手構成してきた地元密着のチームだ。運営資金に恵まれず、常にスター選手はいなかったが、“拾って、つなぐ”粘り強いバレーを身上に、Vリーグで健闘を続けた。前年の2016/2017シーズンは過去最高の3位につけた。
フォレストリーヴズを率いるのは、熱い指導で闘将と呼ばれる中島裕二だ。大学時代、一度は日本代表を目指したが、片方の視力を失い、肩を故障し、若くして現役を退いた。トレーナーのキャリアを経て指導者の道に進み、ふるさと熊本に誕生したフォレストリーヴズの初代監督になった。以来14年、中島の心はフォレストリーヴズと共にあった。
2017/2018シーズンは、上位4チームまでが、V1(プレミア)リーグ昇格の権利を得ることができた。フォレストリーヴズは、終盤で4位または5位につけ、まさにその当落線上にいた。選手とスタッフは、V1(プレミア)昇格を合言葉に、一戦一戦に全力でぶつかった。選手を鼓舞する中島の声も熱を帯びた。
そんなタフな連戦のさなか、中島は、突然オーナーに呼び出された。そして、耳を疑う言葉を告げられた。
「チーム運営から一切手を引く。遠征費も出さない。」
聞けば、母体である会社の経営が苦しいと言う。中島はそうした気配を感じていなくもなかったが、宣告はあまりに唐突だった。一社運営のフォレストリーヴズにとって、解散宣告を意味した。
「せめて、今シーズンだけは、最後まで続けさせてほしい。全力で戦ってきた選手の思いに報いたい。」
中島は強く訴えたが、無駄だった。すでにオーナーは、チーム解体の準備に入っていた。
「リーグ戦を打ち切ってほしい。選手に廃部を伝えてほしい。」
オーナーの言葉を聞き流しながら、中島はすぐに意志を固めていた。
中島「リーグ戦を放棄することだけはできませんでした。懸命に頑張っている選手たちを裏切ることになるし、何より応援してくれるファンに顔向けできない。私が遠征費を立て替えるカタチで、リーグ戦を戦い抜くことを決めました。」
その後、フォレストリーヴズはリーグ戦で一進一退を繰り返した。解散のことは公にされなかったが、“悪いうわさ”は広まっていた。
重い空気が圧し掛かるなか、アウェイの最終戦に臨んだ。
それでもコートに立つと、選手たちは躍動した。いつしか目の前の試合だけに集中していた。
ファンの声援が後押しした。不思議なくらい力が湧いた。
拾って、拾って、つなぎ続けた。
そして─フォレストリーヴズは、勝利を収めた。“勝ちたい”“昇格したい”という純粋な気持ちが、重苦しい空気を振り払った。
最終成績リーグ戦4位。V1(プレミア)リーグ昇格の権利を得た。
全身で歓びを表わす選手たち。歓声がこだまする。
しかし、勝利の歓喜はすぐに冷めた。すでに多くの関係者が、待ち受ける厳しい現実に気づいていた。
V1(プレミア)リーグ昇格の権利を得て2日後─。選手・スタッフは練習会場に集められた。
オーナーもその場にいたが、自ら解散を伝えることはしなかった。
仕方なく、中島が拳を震わせ、口を開いた。
「フォレストリーヴズは解散します。本当に申し訳ありません。」
悔しく、申し訳なく、声が震えた。
聴き入る選手たちは、人目をはばからずに涙を流した。嗚咽する選手もいた。
V1(プレミア)リーグ昇格の夢が一転─
開幕前には誰も予想だにしなかった最悪のシナリオが待っていた。
解散を告げた翌日から、中島はそれまで以上に慌ただしい日々を過ごしていた。
選手とスタッフの移籍先や就職先を探すためだ。
中島は焦っていた。
寮費が支払われず、選手たちは退寮を迫られていた。不動産会社の温かい配慮で、退所を猶予してもらっていたが、できるだけ迷惑はかけたくなかった。
時間がなかった。
熱心な活動が実り、幸いにも一人また一人、移籍や就職が決まっていった。
そのたびに安堵した。
一方で、中島の中で、ある思いがふくらみつつあった。
「チームを再建できないか。」
スポンサーもなく、チームを解体しているような状況下では、あまりにもハードルが多く、半ば絵空事のようにも感じたが、実は当初からその思いが脳裏を離れたことはなかった。
大きな心残りがあった。
中島「まだ何も返せていないと思ったんです。私たちを支えてくれたファンの皆さまに。弱小のチームがここまで来られたのは、ひとえにファンの皆さまの応援があったからこそ。ホームを大いに盛り上げ、遠征先にも熱心に足を運んでくれた。皆さまのお陰で、熊本に芽生えたバレーボールの樹が着実に根を広げていくのを実感できました。チームを無くさないことが、もう一度立ち上がる姿を見せることが、せめてもの恩返しではないかと、そんな思いが大きくなっていきました。」
“フォレストリーヴズ”とは、創部に際し、中島自らが名付けた。ファンや選手をはじめ、バレーボールを愛する人たちを緑の葉に例えた。葉を豊かに実らせ、森の都・熊本に“バレーボールの森”をつくりたいと、熱い思いを込めた。中島の中で、その思いが再び強く燃え始めた。
中島には、他のプロチームから、招聘したいというオファーも届いていた。ありがたい誘いだった。新天地で一から采配を振るってみたいという気持ちもあった。
しかし、フォレストリーヴズ再建への思いはあまりにも大きかった。オファーには丁重に断りを入れた。
チームの存続を促す支援者も現れ始めた。孤独な遠い道のりだと覚悟していたなか、千人力を得た思いだった。
中島は決意した。
熊本のまちで、フォレストリーヴズを再建すると─。熊本のために。応援してくれるファンのために。バレーボールを愛する人たちのために。そして自分自身に正直であるために。
さっそく声を掛けると、複数の選手が戻ってきてくれた。
「声が掛かるのを待っていた」と言ってくれた。
まさにゼロからのスタートだ。チームは3月にVリーグを退社した。V1(プレミア)リーグはおろか、V2(チャレンジ)リーグにも戻れない。
新たな選手のリクルートも、組織づくりもこれからだ。
それでも選手たちの表情は明るい。自分たちで、チームの新しい歴史をつくるのだと意気込む。
中島も精力的に再建の準備に取り組む。
中島「吹っ切れたというのでしょうか。今はとても清々しい気持ちです。大きな試練を経て、私自身が強くなれたし、原点の思いを呼び覚ますこともできた。選手に対しても、ファンの皆さまに対しても負うべき責任は大きいですが、チームを再建する自信があります。勇気もみなぎっています。来季の開幕が待ち遠しくてたまりません。」
フォレストリーヴズ熊本は、全国6人制バレーボールリーグ総合男女優勝大会への参加を決めた。
まずは、そこを足掛かりに、Vリーグ復帰を目指す。
2018年 夏